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初めて、‘‘働かずに‘‘お金を稼いだ日

 

 

労働に、疲れてはいませんか?

 

 

仕事終わりに、疲れた身体でコンビニのレジ打ちをする。

‘‘年下の先輩‘‘に叱られ、愛想悪い客に笑顔を振りまく。

せっかくの休日に、倉庫内派遣へ行き、ひたすら単純作業を繰り返し、
パートのばばぁに怒鳴られて、生意気なクソガキに駒のように扱われる。

「もう誰とも絡みたくないわ」と思い始めたポスティングのバイトは、どれだけ配ろうが
時給800円にも満たずに、「ゴミを入れるな!」と住民に怒鳴られ、マンションに管理人に怒鳴られる。

 

「金稼ぐって、なんでこんなにきついんだろう」

 

 

たった、副業で月5万稼ぐのでも、こんなにキツい思いをしないといけないのか...

 

 

そんな気持ち、抱えてはいませんか?

 

 

 

 

僕もそうでした。

 

 

しかし、だからこそ、あなたに伝えたい。

 

 

不労所得でお金が入る喜びを。

 

不労所得で初めてお金を稼いだ時、僕は飛び上がるほど嬉しかったです。
その気持ちは今でも忘れません。
あの日があったからこそ、ここまで頑張ってこれました。

 

あの時の気持ちを、今苦しんでいるあなたに是非伝えたい。

 

 

そんな思いで、今回僕が初めて不労所得でお金を稼いだ時の話を、していきたいと思います。

 

これをあなたに読んでもらう事によって、あなたを勇気付ける事が出来たなら。

そんな思いでキーボードを叩いています。

 

 

 

 

 

我慢の限界

 

 

「もう、限界だ」

 

心からそう思った。
これ以上こんな生活を続けていたら、俺はもう生きている意味がない。

 

「変えてやる、、この人生を、、」

 

 

営業挫折、派遣アルバイト、塗装業、チラシのポスティング、

見事に底辺を歩んできた。

給与が20万円を越えたのは、塗装業をやってた時くらい。

低賃金、肉体労働。

35歳で、フリーター。
スキルなし。
しかも借金500万。

金が無さ過ぎて、奨学金を全く返せていなかった。

家に入れる生活費も、見栄を張ってカードローンで入れていた。

自転車操業。

というか、走れていない。どんどん借金は膨らんでいく。

 

30歳の頃、親父に知り合いの社長の職場を紹介してもらった。

そこは工場勤務。
俺はあまりやりたくなかったから、言葉を濁していた。

そこの社長は、
「35歳になったら、どこも雇ってくれなくなる。今の内にどうにかするしかないぞ」

と言っていた。

俺は、
「まぁ、まだ後5年もあるし、どうにかなるだろ」

そう思っていた。

 

が、一瞬で5年は過ぎ去った。

 

もはや、社会的にも完全に底辺と認識される年齢。

この先、誰でもやれるような底辺肉体労働をやり続けていくしか道はない。

 

35歳にして、俺の人生は終わったと思った。

 

 

1日7時間、重たいチラシを背負い歩き続けて日給7千円程度。
交通費、飯代抜いたら6千円を切る。

フルで出ても、月収12万程度。
35歳の月収が、12万。
それも、体力総動員して、これ。

終わっている。

 

何も出来ない。
何も買えない。
どこも行けない。

 

飯食べるのも節約。
服買うのも節約。
旅行なんてほぼ行った事がない。

 

「俺の人生、一体何なんだ?」

 

「もう、限界だ、、」

 

 

切っ掛け

 

 

丁度そのころ、ネットを見ていた。

俺は恋愛界隈のTwitterを良く見ていた。

ナンパとか、マッチングアプリの方法をみんなで言い合ったり、女の子と会った成果報告をしているような界隈だ。

俺も男。
女性には興味があった。

 

しかし、そんな中で、

 

なんとも信じられないような話が流れてくる。

 

 

「おいおい、中星一番のnote、半年で一億売り上げたらしいぜ」

 

 

 

noteとは、ノウハウを売れるプラットフォームみたいなものだ。
中星一番は、『女から合鍵を貰う方法』みたいなnoteを書いていた。

 

俺は、特に合鍵を貰う方法に興味はなかったが、

 

そのnoteの売上額に、

 

強烈な嫉妬と、

 

強烈な高揚感

 

を抑えられずにいた。

 

 

 

「これだ、、、これしかねぇ、、」

 

 

自慢でもなんでもないが、女性を口説く方法には自信があった。
「俺の方が、絶対良いノウハウを書ける」

そう思った。

 

 

思えば、大学生の頃も、同じような体験をした。

 

20年前くらいにもあった。
「女を落とす方法」
みたいな怪しい教材が、pdfで売られていた。

当時俺はそれを見て、

「おお、これは美味しい商売やなぁ」

とずっと思っていた。

だって、pdfに文章書いて、それをダウンロード販売させるだけだから。
原価とか、コストが一切掛かってない。
やれば、絶対儲けられるだろうなって。

 

しかし、それからは暮らしに終われ、そんな事はとっくに忘れ去っていた。

 

 

しかし、
35歳。

限界まで追い込まれた今、中星一番のおかげで再び思い出した。

 

「そうか、これがあったんだ、これで、俺はもういくしかない」

 

 

さっそく、note作成に取り掛かった。

 

しかし、作ったものは恋愛関係ではなく、とある健康系のジャンルだった。
俺は昔から、とある健康の悩みを抱えていて、それを克服した経験があったので、
こっちの方が売れるんじゃねぇかと思って作った。

 

 

初めてのネットでの商品作成。
いわゆる、ネットビジネスって奴は初めてだ。

フォロワーなんていないし、俺のファンなんていない。
いわゆるリストは、ゼロ。完全無名。

 

売れる見込みなんて、全く無い。

 

しかし、俺にはこれしかなかった。

 

このnote販売で、絶対に成り上ってやろうという気持ちしかなかった。

 

なので、SNSとかどうでもいいから、とりあえずnoteをまずは作り上げたかった。

 

2週間くらい掛かっただろうか。

 

紛いなりにも、出来上がった。

 

人生で、初めて作った俺の商品。

価格は、1万円にした。

更新ボタンを押して、いよいよ俺の商品が、世に放たれる。

売れる確信なんて、全く無い。

ただ、行動するしかなった。

俺にはもう、後がなかった。

来月から、再びチラシのポスティングをする気力は、全く無かった。

 

 

初めて自分の商品が売れた日

 

 

生か、死か。

 

淡い期待を、願い続けた。

 

「そもそも、Twitterのファンとか居ないし、何も宣伝してないし、売れる見込みなんてないよな。。」

「でも、、もしかしたら、、、」

 

 

初日、売れず。

「まぁ、、そうだよな」

 

「とりあえず、Brainの方にも乗っけておくか、売り場は多いに越した事ないからな」

 

そんな気持ちで、
作ったnoteをコピペして、そのままBrainにも貼り付けて販売した。

 

 

 

翌日、見慣れないメール通知が来た。

 

 

 

「記事が、売れました」

 

 

 

ざわつく鼓動、上がる心拍数。

 

 

「こんな、タイトルのメールが来るって事は、もうあの事しかない、、」

「マジで、、やったのか?」

 

 

俺の記事が売れていた。

 

 

しかも、

 

1つではなく、3つ。

 

 

なんと、1日に3つ売れたのだ。

 

 

 

「うおおおおおおおお!!!」

 

 

 

俺は叫んだ。

 

思わず、友人に電話をした。

 

「売れたよ!俺の記事が!」

 

 

 

1つ売れるだけでも奇跡なのに、3つだ。

 

1日に、3つ。

 

ネットビジネス完全初心者の俺が、商品リリースしてその2日とか3日後に、これ。

 

 

奇跡としか言いようがない。

 

 

3万円。

 

 

その日、俺は3万円を稼ぎだした。

 

 

それも、全く働かず。

 

 

 

普通、3万円稼ごうと思ったら、
これまでだったら、1日7時間のポスティング作業を、一週間やり続けなければいけない。

一週間もポスティングなんてしたら、身体はガタガタになっている。

 

それが、全く働かず、家に居ながら、だ。

 

誰よりも、金を稼ぐ大変さをわかっている。

 

3万円を、どれだけ苦労して稼いできたか。

派遣アルバイト、塗装、チラシのポスティング、

 

 

精神、肉体と共にそれなりの代償を、背負わねば3万円なんて稼げない。

 

 

それが、ノーダメージ、ノーストレスで今、手に入った。

 

 

この感動たるや。

 

 

「1日で3万円って事は、今月やばいんじゃないのか?」

「まぁ1日3つは出来過ぎだとしても、20万円はいくのではないか?」

 

俺の期待は頂点に達した。

 

これ以降は、全て不労所得。

 

何にもせずに、金が舞い降り続けると考えたら、ニヤニヤが止まらない。

 

「俺も、中星一番になれる、、」

 

 

そんな期待は、束の間だった。

 

結果は、初月5万。
あれから、2部しか売れなかった。

スタートダッシュを考えると、少し残念でもあったが、

冷静に考えたら、肉体労働しかしてこなかった35歳パソコンスキルなしが、初月から5万ネットで稼ぐのは
かなり凄い事。

 

 

人生が好転し始めた

 

 

結局、チラシのポスティングを辞める事は出来なかったが、それでもシフトは減らせたし、
何より精神的にだいぶ楽になった。

「俺は今後、無形商品で金を生み出し続けられる」

そう言った確信が、もう今後会社に雇われて、尊敬の出来ない上司に媚び売りながら、イエスマンとして働く必要は
全く無いという安心を作り出していた。

 

 

「いつでも、会社を辞められる」

 

この精神状態はでかすぎる。

 

 

長年、底辺肉体労働にしがみついて、生きてきた。

 

 

それが、自分でお金を生み出す事が出来る。

それも、半不労所得として。

 

 

一気に、人生に光が差し込んだ。

 

 

 

 

そしてその3か月後くらいに、初めて売り上げが10万を超えた。

この頃から、完全にその他労働は、お遊び程度になった。

精神が、かなり楽になった。

 

 

ジャンルも、健康系のジャンルから、本来やりたかった恋愛系のジャンル。

そしてこのnote販売自体にのめり込んでいたので、その他稼ぐ系とか、様々なジャンルの教材を作り続けていった。

 

 

 

そして、今、そのnote販売の進化系とも言える、コンテンツビジネスを軸に、もはやポスティングなんてやる事もなく、

完全にパソコン1台で自由な暮らしを堪能している。

 

寝ながらでも、売上が上がる。

これを経験してしまうともはや働く事すら想像出来なくなる。

 

・いつ起きても、誰にも文句言われない
・起きて2メートル歩けば、職場
・眠くなったら2度寝
・飽きたらネットフリックス
・春~秋はひたすら大谷翔平の中継にかじりつく
・そして好きなものを買い、行きたいところに行く

 

 

こんな人生が、本当に自分に訪れるなんて、期待はしていたけど、想像出来なかったというのが本音だ。

 

 

心から、このビジネスに出会えて、良かった。

 

 

もはや、辞める理由がないので、死ぬまでこのビジネスを続けるだろう。

で、将来結婚する奥さんにもこのビジネスを教えて、家族全員全く働かずに、自由に生きていけたら最高だよな。

 

 

 

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あなたへ

 

 

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

いかがだったでしょうか。

 

これが、僕が当時、初めてネットビジネスとして、無形商品で売り上げを挙げた時の嘘偽りのない気持ちです。

 

読んで、少しワクワクした気持ちになりませんでしたか?

 

コンビニでバイトする必要もないし、倉庫派遣に行く必要もありません。
スーパーのレジ打ちする必要もないです。

あなたがどれくらい稼ぎたいのかはわかりませんが、5万程度なら僕は初月で達成しました。
そしてコンテンツビジネスの仕組みさえ覚えたら、月収30万も簡単です。100万円だって現実的な数値です。

 

あなたの人生を、より良くする為には、無形商品を扱うしか選択肢はありません。

 

確かに、最初商品を作る時間は、言わば無給です。

しかし、その先を考えてください。

不労所得と、労働所得。

働いた分だけ、お金を貰えるのが、労働所得です。

しかし、1度働いたら、その後は働かなくてもお金が入ってくるのが、不労所得です。

 

この選択肢を、間違えないでくださいね。

 

そして、あなたの人生が変わる事を、祈っております。

 

 

それでは、また会いましょう。

 

  • この記事を書いた人

taka

借金総額500万。底辺肉体労働。30代。完全に人生詰んだと思われたさなか、 一念発起してネットビジネスに挑む。「俺はこのまま終わりたくない」 「絶対に成り上がってみせる」死ぬほど貧乏生活を送り、誰よりも成功する事を切望した男は、見事パソコン1台で自由な暮らしを得るに至る。 しかしまだまだ止まる事は無い。月収1億稼ぐまでは俺の怒りは収まる事は無いだろう。同じく「人生を変える事に切望」している同志に向けて、熱いメッセージを送り続けます。

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